長野業正(ながのなりまさ)

長野業正(ながのなりまさ)
1499~1561年

戦国乱世を戦い抜いた名将

箕輪(みのわ)城主・長野業正は、各軍団から上野国を守りぬいた勇も智も備えた名将です。敗戦が続き多くの武将に見放された関東管領・上杉憲政に最後まで筋を通した忠義の武将でもあります。

箕輪衆(みのわしゅう)

上杉憲政が北条氏康との戦いに敗れ、長尾景虎の元に逃れると、長野業正は関東管領・上杉家の復興を掲げて、「箕輪衆」という軍団を作り上げ、巨大な勢力を築き上げました。

上杉謙信の進出で北条氏を追い返した後、今度は武田信玄の上野国への侵攻が始まります。毎年のように続く武田軍の侵攻でしたが、長野業正は箕輪衆を率いて撃退し続けました。

ところが長野業正も病には勝てず、倒れてしまいます。長野業正は嫡男の業盛に、こう遺言したといいます。

「私は長年、命を惜しまず上杉氏を再起させようとしてきた。私が死んでも塔婆を建てたり仏事を行なわず死を隠し、敵に決して降ってはならない。戦って死ぬことが親孝行だと思うべし。」

長野業正は病没し、長野氏は、長野業盛が継ぎました。しかしやがて業正の死を知った武田信玄はかつてない大軍で上野国に侵攻し、業盛を中心によく守りましたが落城してしまいます。

長野氏の最期

業盛は父・業正の遺言通り、命を惜しまず自害し忠義をまっとうしました。ここに長野氏は滅びました。